江戸時代には今で言う日光街道は阿賀川沿いを通らずに大内宿のある山峡の道を通っていました。
会津藩の松平候が参勤交代の折、この大内宿で昼食を取ったという記録も残されている、由緒のある宿場町です。
わたしは福島県を良く訪れていて、大内宿も大好きなので、この宿場町を見下ろせるダムに良く立ち寄っては休憩をしていましたが、宿場町に入るのは今回が初めてでした。
司馬遼太郎著の「街道をゆく 会津編」にも大内宿が出ていましたので、とても興味がありました。
有料駐車場にオートバイを止めようとすると、ここの人たちは商売気がないらしく、バイクは向こうの歩道に停めてよといいました。むろん無料です。
宿場町に一歩足を踏み入れると江戸時代の雰囲気がそこにあります。わたしは馬籠宿など全国各地の旧観をとどめている宿場町を見てきましたが、これほど見事に景観をとどめている宿場町も希と思います。
ほとんどの家が土産物屋や食堂など観光を生業としていましたが、よく見るとかやぶき屋根の旧家の裏手に新築の家が見えないようにひっそりと立てられていました。
これがわたしを嬉しくさせました。大内宿の方たちは旧観を維持しつつ、現代風の生活も送ることが出来るのです。白川郷などの合掌造りの家は住民が住んでいながら維持管理をして観光地となっていて、その維持管理が大変な手間だと聞いたことがあります。わたしも白川郷は何度も訪れていますが、立地条件などから観光地として維持して行こうとすると大内宿のような現代風の生活は送りにくいと思います。
会津藩の松平候が休まれたという本陣が展示館として保存されていました。
わたしは会津藩には特別な思い入れがあるので、本陣に見入ってしまいました。
わたしの思い入れは「会津若松の町とゆかりの地」として簡単ですがまとめてあります。
食事は当然ながら、名物のねぎそばです。ねぎそばは別に記事に書きましたので、そちらを参考にしてください。
ダム湖より大内宿を見下ろします。
沢山の観光客が訪れる大内宿ですが、ここからの景観を知っている人はほとんどいないでしょう。
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