今熊神社を起点として、今熊山、刈寄山、市道山、醍醐丸、生藤山と稜線を歩いて浅間峠へいたりました。
八王子市の秋川街道沿いに住んでいるので、今熊神社までは一本道、サイクリングで武蔵五日市駅に抜ける時に前を通るので、よく知っています。地元です。
昨年の9月にここへ引っ越してきた当初から歩いてみたかったルートの一つなのですが、このルートが掲載されている山と高原の地図23「奥多摩」が売り切れていて道が分からずに歩けないでいました。年が明けて2011年となり、ようやく本年度版の奥多摩が出版されて購入できたので、歩いてみることにしました。
この日の距離と時間の内訳
距離は現地の標識を元に計算しました。
歩いた時間はわたしの実測です。途中の休憩時間は含んでいますが、食事の時間は除いてあります。
- 今熊山登山口バス停から今熊山まで 2.5km(55分)
- 今熊山から刈寄山まで 3.0km(1時間20分)
- 刈寄山から市道山まで 5.1km(2時間40分)
- 市道山から醍醐丸まで 3.2km(1時間25分)
- 醍醐丸から連行山まで 2.2km(1時間33分)
- 連行山から生藤山まで 1.2km(24分)
- 生藤山から浅間峠まで 3.5km(1時間20分)
- 浅間峠から上川乗バス停まで 2.5km(48分)
総距離・20.7km
総時間・10時間41分
今熊山登山口バス停まではMTBで
この日はどういうわけか午前3時前には目を覚ましてしまい、以後眠ったような起きているような感覚の中にいました。初めて歩くルートなので興奮したわけではないのでしょうが。
朝、5時には完全に目が覚めていたのですが、外が暗いのと思っていた以上に気温が低いことで起きられずに寝床のなかでうだうだとしてしまいました。
空が完全に青くなり、となりの家の屋根に朝日が当たり赤く輝き始めて、「暗いので起きない」いいわけがなくなり、渋々起きて身繕いをはじめます。あらかじめ前日の夜に準備をしておいたので、朝の時間はかかりません。コーヒーを沸かして1杯のんでも15分ほどで出発できました。
服装はいつもの通り。化維素材のTシャツの肌着、厚手のシャツ、ぺらぺらのウィンドブレーカーです。
3月に入ってからはこの服装で通していたのですが、この日の朝は寒かったです。マウンテンバイクで走りながら、道沿いの駐車してある車をみてみると、フロントガラスが霜で真っ白になっています。吐く息は白く、寒さが身にしみてきます。どうやらこのあたりの気温は氷点下にまで下がったようです。
秋川街道は八王子駅の周辺では平坦な道ですが、中央道の下をくぐるあたりから勾配がきつい坂道となります。川口小学校から今熊神社のある小峰峠にかけてはそうとうに急で、ギアを一番軽くしてようやく先に進めるほどになります。
氷点下の中を40分ほど走って目指す今熊神社登山口バス停に着きました。
今熊神社
西東京バスの今熊登山口バス停にマウンテンバイクを置き、バス停からは徒歩となります。
秋川街道から今熊神社までは舗装の車道です。道の両側には民家がびっしり。よくもこんな山奥にと感心させられます。家をみていたら、どの家にもアンテナが立っていないことに気づきました。地上波はもちろん衛星放送用のパラボラアンテナも見あたりません。これはどうしてだろうと考えていたら、ケーブルテレビという言葉が浮かびました。
ここはかなり切れ込んだ山峡なので、電波は届きにくそうです。
ケーブルテレビが普及するまでは、どの様にしてテレビを見ていたのかという、新たな好奇心が芽生えました。谷を伝ってとどくかすかな電波を受信していたのでしょうか。
小峰峠でもこのあたりでも今が梅の花の盛りの様だったので驚きました。
都心ではさくらが満開となる時期ですが、標高が高いこのあたりは気温も低いようです。
今熊神社には参拝者兼登山者のための駐車場が整備されているのですが、夜間と早朝はゲートで閉鎖されているようです。わたしは徒歩なので問題はないのですが、早朝から自動車でやってきて上り始めようという登山者は要注意です。何時頃にあくのかはわかりませんが、神社を管理する方があけるのでしょう。
今熊神社の社は小振りですが、作りは華麗でしっかりとしています。直近に建てられたのではないようで、風雨にさらされて適度な継年劣化が見受けられてよい味わいを出しています。参拝口には社務所があり、ポスターなども掲げられているので、日中にはお守りなどを販売しているのかもしれません。
神社に参拝を済ませてから山に取りかかります。
小峰峠のトンネルの手前に今熊登山口バス停があります。 |
今熊神社まで舗装道路を歩きます。 山峡なのですが民家が道の両脇にびっしりと建っています。 |
4月というのに満開の梅。よほどに寒いのかと思います。 |
今熊神社の社。 |
今熊山(505m)
神社の右手、社務所とのあいだに今熊山へ通じる参拝路の石の階段があります。表参道らしく人が2人以上歩ける幅を持っているのですが、いかにも急です。一直線に坂を上るかと思うと、もっと急な斜面はジグザグに切って登ります。今熊神社元社のてまえの分岐まで、尾根の頭のわずかな広場をのぞいて急登坂が続きます。
参道の両脇には、いかにも古くからの神社らしく、杉の大木がいくつも茂っていますが、崩れた石段の急坂を上っているので、樹木をみている余裕はない人が多いかもしれません。
尾根にとりつくところ、よく「00の頭」などと呼ばれるところに上ると、東がわの樹木が刈り払われていて、秋川丘陵を一望できます。ベンチがいくつかもうけられているので、山登りになれない参拝者がここで休憩を取るのでしょう。
今熊山の山頂はやや広い平となっていました。ベンチが数個有り、その先に鳥居、鳥居をくぐると元社です。
ここにある今熊神社元社はとても小さな建物です。賽銭箱がおいてなかったのは好もしく思いました。
このあたりには野鳥が多いようで、オナガの特徴のある「ギャー」という声がしきりと聞こえてきます。
樹木のあいだをカケスが飛び交っているのも見えます。この先、市道山や生藤山まで歩く途中では、シジュウカラの声もよく聞きましたし、キツツキのドラミングも響いていました。
元社の前には献納された石碑が数個並んでいますが、そのうちの一つは先の大震災で崩れていました。たっている石碑をみていると、満足なものはほとんどありません。どれもこれも割れたり欠けたりしたあとがあります。割れた石はコンクリートで丹念に補修してあります。 補修された石碑をみていて、どのくらいの年月を山頂で過ごしてきたのだろうと考えました。よほど大きな地震でなければ崩れないのはいまの様子を見ればわかります。先の大震災でも崩れたのは一つなのですから。
これらの石碑の崩れたのは大正時代の関東大震災か、そうすると石碑はそれ以前、明治、慶応といった古い時代に献納されたのかもしれません。以前に栃木県にある庚申山から皇海山を歩いたときに、庚申山の登山道に文久二年献納と書かれた石碑をみたことがあるのですが、ここの石碑も同じように古いモノかもしれません。碑文が風雪で読めないほどに摩耗していました。
神社の脇の参道を登ります。 石段の坂道ですが、石がなくなってしまっている箇所が多くありました。 |
200、300年は経ていそうな杉の巨木がたくさんたっています。 |
きつい坂道を登り切ると尾根道に出ます。 ベンチが用意されていて休憩が取れます。 |
東の方の木が刈り払われていて、視界が開けていました。 関東平野の端で、このあたりから森林の緑ばかりとなっていました。 |
尾根筋の道を上ってゆきました。登山道としてはよく整備されているのですが、神社の参道として登ってきた人にはちょっと驚くかもしれない岩の道です。 |
山頂の下の東屋。視界が開けています。 |
ここも東の方が刈り払われていました。 |
今熊山の分岐。 ここから100mの往復と書かれています。山頂を「通過」でなく「往復」するのは少しだけ抵抗を感じます。何となくもったいないような気がします。 |
分岐から今熊山の山頂へ登る石段。 |
今熊山の山頂。 |
今熊神社の元社。 |
先の大震災で倒壊したと思われる石碑。 |
山頂にはいくつもの石碑が並んでたっていましたが、相当に古い歴史を経てきたようで、ほとんどに修復の跡がありました。 |
刈寄山(687m)
今熊山から刈寄山へと進みます。
今熊山の分岐から尾根道を少し歩くと、小さなピークのうえにお墓がまつられていました。
墓石に彫られている文字がこのあたりの地名と同じでした。墓石は新しいものでしたが、お墓の主は、ひょっとして代々このあたりを納めてきた小領主の末裔なのかもしれません。
尾根道の右側には採石場があり、しばらくの間機械音が耳障りですが、先へと歩いているうちに聞こえなくなります。
たまたまこの日は平日だったので作業をしていましたが、休日なら静かかもしれません。
刈寄山は尾根筋の登山道から少しそれたところにあるので往復します。
往復する途中で市道山へと行ける巻道があるので、復路を往路の半分くらい歩くだけですみます。
この道は山頂で行止とはならずに、刈寄山を経由して五日市の沢戸バス停まで歩いて下れる道があります。
刈寄山の山頂は広い平となっていて、東屋などもあります。展望は主に東がわに開けていて、秋川丘陵や関東平野が見渡せます。春霞がなければ都心も見えたかもしれません。
北がわは植林された杉の林に遮られています。西がわも杉の林ですが、わずかに切れ目があり、富士山をみることができます。
今熊山から刈寄山へ向かう道です。 |
この道は登山道というよりも遊歩道のようで、地面に凹凸もなく勾配も緩やかの、歩きやすい道でした。/td> |
落葉樹の多いところでは明るい日が差し込んできていました。 |
ちょっとした上り坂。 |
刈寄山から市道山へ登る巻き道の分岐。 |
まっすぐゆくと刈寄山、左に進むと市道山です。 |
標高差は小さく100mに満たないですが、結構足にこたえる急な坂道です。 |
間伐のあと。切り倒した木材は搬出しないものもあるようです。 |
刈寄山の山頂のすぐしたにある分岐。この分岐からも市道山へゆくことがで来ます。 |
分岐にたつ標識。 |
刈寄山の山頂。 |
刈寄山からみた東の風景。 |
市道山(795m)
入山峠で舗装の林道を横切ります。
林道を横切ってから市道山へ登る登山道が崩れかけていて、登る時に緊張感を感じられておもしろいです。
入山峠の林道には駐車スペースはないので、ここまで車で来て登山を始めようというわけにはいかなそうです。
入山峠からしばらくの間は、左下に舗装された林道が見え隠れします。
この林道が見えなくなるあたりから道の勾配がきつくなり、登ったり降ったりしながら少しずつ高度を上げてゆきます。
圧巻なのが弾左右衛門ノ峰から始まる小ピークの連続です。弾左右衛門ノ峰には巻道があるので今はあるく人はいないようです。
時々立ち止まって耳を澄ますと、ウグイスの声を始め、野鳥の声が聞こえてきます。
あとは風の音が聞こえるだけ。
他にはなにも聞こえません。
樹林の中の道で日が直接当たらないとはいえ、暑さに汗ばんできます。
ウィンドブレーカーを脱いで暑さをしのぎます。
市道山も登山道からすこしそれたところにあります。山頂のてまえからあえぐような急斜面を上ります。
市道山の東南の斜面の木は伐採されていて大きな視界が開けていました。山頂にはベンチがなく、木の切り株や岩の上に腰をかけて休みます。
山頂で休憩を取っていると、臼杵山の道から登山者がやってきました。
ここの山頂で、この日初めて登山者をみました。
入山峠。舗装林道を横断します。 |
舗装林道を渡ったところにある崩れかけた市道山への道。 |
稜線の上の道を歩きます。 |
距離は短いがかなりきつい登りと下りが交互に現れます。 |
弾左右衛門ノ峰の分岐。弾左右衛門ノ峰への道は水が流れ落ちたあとのようでした。 |
弾左右衛門ノ峰の上。かつては三叉路だったようです。 |
樹木のあいだから奥多摩の大岳山の方角が時折みられます。 |
登ったあとの下り。こまかな上り下りは一途な登りよりも疲れるかもしれません。 |
主に杉の木が植林されていてる区間は、葉が落ちないので薄暗いです。 |
手前が戸倉三山の臼杵山、後ろが奥多摩三山の御前山です。 |
稜線の上の道。黄色い杭が浮いて見えたので不思議に思いました。 |
地面に打ち付けられているすべての杭が浮いているので、雨水で土砂が流失したと分かりました。 |
市道山の山頂の東の斜面は、木が刈り払われています。 |
市道山の狭い山頂。 |
市道山から見た東の方向。 |
醍醐丸(867m)
市道山の道を分岐まで戻ってから醍醐丸への道に入ると、すぐに道が崩れている箇所があります。
急斜面につけられた道で、下は深い谷となっているので、山歩きになれていない人の肝を冷やすのには十分です。
市道山から一度尾根を下りきって、標高867mの醍醐丸に上ります。
下りの道は楽なのですが、次に867mの醍醐丸に上ることがわかっているので、下らなければ登りも楽なのに、ずいぶんともったいないと思いながら、楽な下りを楽しめずに歩きました。
最鞍部(標高677m)からは少しずつ標高を高くしながら、だらだらとした道を歩いて行きます。
最鞍部のあたりでチェーンソーの音がしてきました。
醍醐丸の周辺では間伐をしている森がいくつもあります。
この尾根道も左右に樹木が茂っていて展望はききませんが、樹木の葉がまだ落ちたままなので、枝の粗なところでは、枝越しに遠く大岳山や御前山の山容をみることがで来ます。奥多摩三山と呼ばれるこれらの山を、今まではあまり注目してこなかったのですが、高尾山から生藤山にかけての山道のほとんどを歩いてしまうと、必然的に次は奥多摩の山々を歩くとなるので、尾根を歩きながら何れはあの頂のうえも歩こうかとみていました。
醍醐丸の直下には、事前に分かってはいたのですが、きつい登りがありました。
醍醐丸の手前の800mから登りはじめ、標高差約100mあまりを登り切ります。わずかに100mの標高差でもつらく感じます。
醍醐丸は樹木に囲まれた小さな頂です。市道山の方角だけ樹木の高さが低く、葉のない季節には、枝をすかして市道山やその背後の山をみることがで来ます。
ベンチが3つ4つ置かれていますが、日が当たらないので4月上旬の晴れた日中といえどもじっと座っていると寒くなってきます。
ここで長い時間の休憩を取っていると体温が下がってしまうので、昼食の準備をするだけ休むことにしました。準備といっても持参してきたアルファ米に適量水を注ぐだけです。ザックから水とアルファ米を取り出して、目分量で水を注いで再びザックに入れて終わりです。
市道山の道を分岐まで引き返しました。この分岐を市道山の方へ進みます。 |
分岐を曲がると、すぐに道が崩れている箇所があります。山歩きになれている人はさっと歩いてしまうのですが、ハイキングで登ってきた人を脅かすのには十分そうです。 |
山と高原の地図にはここが「吊り尾根」と書かれているのですが、地図を見ていて大仰と思っていたら、さすがに現地には「吊り尾根」とは書かれていませんでした。一部の人?がよんでいるだけのようでした。 |
一番低くなるあたりで、右側に作りたての作業林道が現れます。まだ法面工事のまえで、あちこちで土砂が路面に崩れ落ちていました。 |
醍醐丸の周りは間伐が盛んに行われていて、歩道に木が倒れているところもありました。 |
市道山から醍醐丸のあいだの尾根道の中程は、だらだらとした緩やかな上り下りの道でした。 |
醍醐丸の下の急な登り。 |
醍醐丸の山頂。三叉路の標識があります。 |
醍醐丸から見た御前山の方向。 |
連行山
先が見えないくらいに長い長い醍醐丸の下り坂をおりると、次は連行山・生藤山・熊倉山と1000m前後のピークが続く登りとなります。
岩の峰の巻き道があるのですが、これがなかなか危険な道で、幅が狭く、山側から谷側へと傾斜しているので、歩いていると山側の右足の足首が痛くなってきます。
といってピークも岩場で険峻です。
連行山の手前に、三段の急な登りがあります。時刻は昼を過ぎて、気温もあつくなってきました。
このあたりの樹林は落葉樹で、この季節にはまだ葉はなく、日差しが差し込んできます。
最初の1000m峰の連行山(1010m)には檜原村柏木野へ下る道の分岐があります。周りの樹木も心持ち刈り払われていて、眺望が楽しめなくはないです。ベンチがいくつかあるのですが、ベンチを作った頃よりも山上の土が雨で流出してしまったためか、ひどく腰の高いモノとなっています。一番端の生藤山よりのベンチだけはやや低いので、そこに腰をかけます。込んでいる高尾山から陣馬山にかけてのベンチだとゆったりできないこともあるのですが、ここは人の気配もないので2つのベンチを占めてゆったりとくつろぎます。
ここで昼食を採ったのですが、醍醐丸で準備をしたアルファ米の水の量が少なすぎて柔らかさにばらつきができてしまいました。 半分くらいは食べられる堅さなのですが、残りの半分は食べるには少し堅い様です。一思案して思いついたのは、今日のおかずはフリーズドライの豆腐チゲなので、チゲ雑炊にして軽く煮込めば、アルファ米もふやけて食べ頃になるだろうということでした。この考えはあたって、やや堅かったご飯がちょうどよい加減になりました。
連行山でたっぷりと休憩を取って茅丸、生藤山、三国山と通り抜けて、熊倉山へとたどり着きました。
この辺りですこしばててきたようです。連行山からまだ1時間も歩いていないのですが、ここで休憩を取ることにしました。5分くらいベンチに腰をかけて休んでいると、体力が回復してくるのが分かります。
ここから浅間峠まではほとんど下りなので、それほど体力は必要としません。
醍醐丸の下り。ぐんぐん標高を下げてゆきます。 |
岩の峰の巻き道。この巻き道は岩が露出していたり、道が狭かったりします。 |
岩の巻き道。間伐作業の途中らしく、切り倒された木がたくさんあります。 |
切られた杉が、はずみで他の木の枝に引っかかっていました。これを見ても、間伐で切った木を利用する意志は薄そうです。 |
春だなと思うのは、つぼみがほころんでいることです。 |
ある意味の再利用。折れたらしい標識を土留めに使っていました。 |
前の週には真っ白だった雪もほとんど融けていました。 |
一連の峰の連続の中で、最初に1000mを越える連行山。この日はここで昼食を採りました。 |
連峰の中の最高峰の茅丸。 |
最高峰らしく、下りも豪快。 |
生藤山の登り。急な坂の岩場です。 |
生藤山の山頂。いくつかのベンチが置かれています。ここから藤野駅に向かうバスが複数路線あるので、生藤山を起点に歩き始める人も多くいます。 |
浅間峠
先週末に歩いた時には、熊倉山から浅間峠までの急な坂道は真っ白に雪に覆われていたのですが、1週間、晴れの日が続いたおかげですっかり融けて、黒土があらわとなっていました。
面白いと思ったのは、落ち葉のほとんどがぺたりと地面に着いていることです。普通にふわりと落ちている落ち葉が見あたりません。これはたぶん雪の影響で、数日前まで落ち葉の上には重い雪が乗っていたからです。
土の道は雪解けの影響でぬかるんでいました。
坂の泥道を下るのは神経を使うもので、このときも写真をとるのに夢中になった時に足を滑らせてしまい、危うく転倒するところでした。幸いに右手を着いて転倒は回避できました。
熊倉山からは一気に820mまで降ります。
下りでも200m近くの急傾斜が続くとつま先が痛くなるので、逆方向から登ってきた場合の苦労が察せられます。
生藤山の下り。巻き道との合流点まで階段状の下り道です。 |
三国山の山頂。広場となっていて、たくさんのベンチとテーブルがもうけられています。 |
軍茶利神社元社に登る斜面。 |
軍茶利神社元社。 |
熊倉山への登り。 |
熊倉山の山頂。正藤連峰?(というには大げさですが)は連行山から始まりこの熊倉山で標高を下げてゆきます。 |
先週は雪で真っ白だった下り道。泥道を下ります。 |
途中に階段もありました。 |
ネコ科の足跡に見えるのですが、家猫の種類にしては大きすぎます。種類が不明の動物の足跡です。 |
見事なくらいに降り道が続きます。 |
浅間峠の直前で降り道が終わり、登ったり降ったりをしながらの道となります。 |
ようやく浅間峠が見えてきました。 |
上川乗バス停
浅間峠にたどり着き、時計を見ると午後4時を少し廻ったところです。
事前に調べておいたバスの時刻表では午後5時過ぎにバスが来た後は、午後7時過ぎまでバスが来ないので、このまま降るか、もう一つ先の峠まで足を伸ばしてから、午後7時過ぎのバスに乗ろうか思案をしました。
先週にこの先の数馬峠から下った時には、数分の差でバスに乗り遅れてしまい、1時間以上も待つことになりました。それに懲りていたので、バスの時刻と自分の歩く速度に過敏になっていました。
疲れているとは言ってもまだ歩き始めてから10時間は経過していないので、ピークの一つを超えて先の峠まで歩くことはできるのですが、バスのことを考えると、大事をとって浅間峠から上川乗バス停まで下った方が良いと判断をしました。
浅間峠から上川乗までは急な下りの一本調子。逆に上川乗から登り始めたらさぞつらいだろうと思わせる道です。
下りの途中に小さな社があったのでお参りをして、さらに先へと歩きます。
密度の濃い森林の中を歩き通して行くと、車の音が聞こえてきます。GPSで位置を確認してみると、上川乗を通る都道まであと数百メートルの位置に達していました。バスの発車時刻まではまだ20分あるので何とか間に合いそうです。
上川乗の登山口はとても簡素で、道沿いに小さな木製の標識が1本立っているだけです。目をこらしていないと見落としそうな気がしました。この登山口の利用者は少ないのでしょうか。
登山口からバス停まで500mほど歩きます。
降りればすぐにバス停と錯覚をしていたので、この500mを歩くのは計算に入っていませんでした。
念のためにと、早歩きで降ってきたおかげで余裕を持った時間で下山できていたので助かりました。普段の通りに歩いていたらバスに乗り遅れたかも知れません。
さて、バス停に着いて時刻表を見ると、4/1からと書かれた時刻表に変わっていました。
よく読んでみると、3月の時刻表にあった17時台のバスがありません。16時台のバス以降は19時台まで2時間近くバスが通らないことになっています。これなら急ぐ必要はなかったとがっくりしながらベンチに腰をかけてスパッツを外していると、大型車特有の低いディーゼルエンジンの音がします。まさかと思いながら、バス停の東屋から顔を出して見ると、武蔵五日市駅行きと表示したバスが走ってきました。理由は分かりませんがバス停に着いてから数分の待ち時間でバスに乗ることが出来ました。時刻表に乗っていないバスに乗れたのだから幸運としか言いようがありません。
先週には真っ暗な中を武蔵五日市駅までバスに揺られて走ったので、檜原村の秋川渓谷は見られなかったのですが、この日はまだ日の明るさが残っていたので、秋川渓谷をバスの座席から見ることが出来ました。川を見るとカヤックで下れるだろうかと見てしまうのですが、秋川渓谷はとても無理だと分かりました。
バス料金は上川乗バス停から武蔵五日市駅まで680円でした。
浅間峠の東屋。ほかにもベンチがいくつかあります。 |
檜原村に降る道。浅間峠は十字路となっています。 |
かなりきつい下り。斜度は登山道を抜けるまで変わりません。 |
雨水で削られて、堀のようになっていた歩道。 |
小さな祠が祀られていました。 |
針葉樹の林をどこまでも降ります。相当に暗い林で、晴れた夕方というのに薄暗かったです。 |
浅間峠の入り口。小さな標識だけが目印です。 |
車道からみると、標識も目立ちません。 |
上川乗の谷あい。 |
秋川の流れ。 |
浅間尾根の登山道入り口がありました。 |
上川乗のバス停。バス停から浅間峠までの道順と時間が分かったので、何れはここを出発点として奥多摩まで足を伸ばして見たいものです。 |