昨年(2010)10/5から10/7にかけて、焼岳から西穂、奥穂、北穂、槍と歩いた記録です。
初日は新穂高温泉郷の中尾温泉にある焼岳登山口から入山して焼岳を経て西穂山荘まで歩きました。
歩く前は、西穂高岳から奥穂高と、北穂高岳から南岳の間の大キレットが難所とは知りませんでした。
歩いているときも、特に危険と感じるところはなく、ただ両手両足を使って岸壁をよじ登ったり下ったりして、時間がかかる割に距離が稼げず、なかなか先へ進めないと嘆いていました。
日程
- 06:14 中尾温泉焼岳登山口から入山
- 08:22 中尾峠
- 09:02 焼岳北峰
- 09:24 焼岳南峰
- 10:35 焼岳小屋(新中尾峠)
- 13:26 西穂山荘
初日
焼岳登山
登山口付近
中尾温泉の車道を詰めてゆくとチェーンゲートがあって先が通行止めとなります。その手前に広い駐車スペースがあり、焼岳登山者の車が止められるようになっています。
6時過ぎに駐車場に着くと、すでに先客が一組いて準備をしていました。クルマはわたしのを含めて2台。日本百名山の一座の登山口なので込んでいると思っていたのですが、以外にもすいていました。焼岳登山者のほとんどは上高地や中ノ湯から登ってくるようです。
しばらく舗装林道を歩くと登山口に至ります。丸木橋の架かった沢を渡ると傾斜のある山道となります。
中尾峠までは樹林の中を歩くので展望はあまり楽しめません。
わずかに白水の滝が遠方に見受けられるだけでした。
中尾温泉の車道を上り詰めたところにある駐車場です。20、30台の乗用車が止められる広さがあります。 |
車道をしばらく歩くと、焼岳登山道と書かれた標識があり、そこからすぐに沢にかかった丸木橋を渡ります。 |
中尾峠までは樹林の中の道で景観はほとんど楽しめません。 |
木立の間から見える白水の滝。相当の距離があります。 |
ヒカリゴケの自生地があります。ISO感度6400のキャノンEOS 7Dで何とか光るコケの撮影に成功しました。 |
木立のあいまから見える笠ヶ岳。この山にはこの年の8月に登っているのですが、深い雲でなにも見えず、山容はこの時初めて知りました。 |
秀綱神社と飛騨姉小路氏のこと
中尾峠の手前の勾配が緩やかとなるところに秀綱神社があります。
三木秀綱は姉小路秀綱とも呼ばれているので、公家の末裔と思われやすいのですが、実際は飛騨国の代官です。元々は近江の出身でした。
秀綱は涼やかな好漢と伝えられていて、その風韻をしたってこうして神社でまつられているのだと思われますが、三木氏の歴史はあまり好感は持てないものです。
信長公記に三木氏変じた姉小路自綱(これつな)が中納言として登場してきます(永禄13年4月14日)。実際に朝廷に運動をして従五位下飛騨守という官位を得ていますが、中納言は私称です。もっとも本人は大納言と称していたこともあります。
ここで飛騨の姉小路氏について簡単に述べると、建武の中興のときに朝廷から飛騨の国の国司として送り込まれたのが姉小路氏でした。同様な経緯で伊勢の国に北畠氏が送り込まれています。
この姉小路氏は四代続いた後の尹綱(ただつな)のときに時の足利幕府によって滅ぼされてしまいます。
その後に足利幕府が再び姉小路氏を飛騨の国司として赴任させましたが、この姉小路氏も四代で滅びてしまいます。
姉小路氏が滅んだ後の飛騨の守護職は京極氏だったのですが、その下で益田郡の代官を務めていたのが三木氏でした。
三木自綱と諱に「綱」の字が入っているので姉小路氏の末裔と思われやすいのですが、血縁もなく、養子などの縁組もありません。三木自綱の時に自称して「姉小路」氏を名乗ったのです。
信長公記の姉小路自綱の書かれているのは、最後の足利将軍、義昭の新居が落成の祝いの能の舞台のシーンなのですが、筆頭が姉小路中納言自綱、次席が北畠中将、次いで徳川家康となっています。
まだ若かったとは言え、天下人の家康の上座に座っているとは驚きを通り越してしまいます。
三木氏の姉小路氏も最後には滅びてしまいます。
相手は豊臣秀吉でした。
理由は不明なのですが、越中を支配していた佐々成政と手を組み、秀吉と対抗しました。成政の方が先に秀吉に降伏をしてしまったので、三木自綱は中に浮いてしまいました。成政の降伏の後に、秀吉による飛騨攻めが行われます。
このあたりに自綱と秀吉の器量の違いが露骨に出ています。成政を屈服させれば枝葉の飛騨の勢力は枯れ葉のごとく落とせるという認識の元に越中から手をつけた秀吉と、秀吉嫌いというただそれだけで畿内を押さえた大勢力の秀吉を向こうに回した佐々成政と手を組んでしまった自綱の差です。
飛騨攻めは信長、秀吉と使えた利休七哲の一人の金森長近(ながちか)と可重(ありしげ)親子の軍勢が主力でした。
三木自綱は長近に降伏して一命を安堵され、京都で没したと伝えられます。
子の秀綱は降伏を潔しとせず、松倉城に残兵をまとめて最後まで抵抗をしました。衆寡適せずに松倉城は落城しますが、秀綱は再起を図るためか信州波田城を目指して逃げました。飛騨と信州の国境を越えて、島々谷に入ったところで安曇野の住民に殺害されてしまいます。身重の奥方は別々に逃げたのですがこれも殺害されてしまいました。
参考「司馬遼太郎著・街道を行く29、飛騨紀行」他。
中尾峠のすぐしたに秀綱神社があります。 |
焼岳
中尾峠に登ると、上高地が眼下に現れます。
上高地を見るのは初めてなのですが、見下ろしただけでも風光明媚であることがわかります。
上から見た限りですが、思っていたよりも樹木が残されていて、梓川べりに赤い屋根が散見されるほかは、ほとんど濃い緑で覆われていました。
中尾峠と焼岳の標高差はわずかなものなのですが、火山特有の岩場でしかも急傾斜なので容易に距離が稼げません。
登る斜面からガスが噴出していて、いかにも活火山に登っているという臨場感を味わえます。
山頂の直下に大きな噴気口があり、登山道はその横を巻くように登って行きます。
「ゴー」と言う噴気の音がします。
北峰と南峰の双方に登ったのですが、景観は北峰の方が数段にすばらしいです。
南峰からは乗鞍岳が裾野から山頂間ですっきりと見える他は、北峰が視界を遮ってしまい芳しくありません。
対して北峰は笠ヶ岳から伸びる稜線、穂高から槍にかけての連峰、北穂と吊り尾根がよく見えます。あまりに近く見えるので圧迫すら感じるほどです。
焼岳の山頂やその周辺には多くの登山者がいて、やはり安房峠がわの中ノ湯温泉か上高地から登ってくるようでした。
山頂にはカルデラの池があります。ただし火口壁が深いので、よく見えません。
中尾峠。ここから焼岳までは樹木がなく眺望を楽しめます。 |
中尾峠から見上げた焼岳。間近に見る活火山なので黒い山肌に迫力を感じます。 |
中尾峠から見る上高地。 |
大正の噴火の名残と思われる、火口壁と噴気口。 |
焼岳山頂付近の岩場と噴気口。 |
焼岳の噴気口。 |
焼岳北峰の山頂直下の噴気口。 |
焼岳北峰の山頂。 |
焼岳山頂から見た笠ヶ岳。 |
焼岳山頂から見た槍ヶ岳(奥)と穂高岳(前) |
穂高岳と吊り尾根。 |
穂高岳と上高地。 |
上高地の梓川。 |
焼岳のカルデラ池。 |
焼岳南峰と笠ヶ岳、穂高連峰。 |
南峰から見た乗鞍岳。 |
西穂山荘まで
焼岳を中尾峠まで下ってとなりの峰に登って、この日最初の休憩を取ります。
草に覆われた小さなピークなのですが、時々足下に雲がかかり、硫黄のにおいもしてきます。
妙だと思って見回すと噴気口を見つけました。活火山というと焼岳の姿が印象的なので見落とされているようなのですが、中尾峠と新中尾峠の間の小ピークも噴気口のある活火山でした。
この年は夏が長く秋に入っても暑い日が続いていました。それなので10月上旬ならちょうど紅葉が見頃ではないかと期待していたのですが、中途半端に気温が下がっているためか、色づきがあまり良くありません。
中尾峠から西穂山荘まで樹林の稜線を歩くのですが、森の色づきはまだらで、すでに紅葉を終えている木があるかと思うと、まだ青々とした葉をつけている樹木もありました。
この稜線のおもしろいところは、あちこちに池があることです。
南アルプスの光岳から茶臼岳にかけても稜線上に湿地がある似たような景観でしたが、なぜこのような標高が高くこれよりも上には水が降る場所もない稜線に池が出来るか興味があります。
ほとんどわずかに登るとすぐに下るの繰り返しをしながら先に進み、西穂山荘の下まで来ると、ようやくに上り坂となります。
西穂山荘まではあっという間で着いてしまいました。時刻は午後1時半を回ったところで、まだまだ歩き足りない気がします。
山荘のスタッフに穂高岳山荘までの所要時間を尋ねると約6時間と言われ、今から出発しても日没前にはたどり着けそうもないので、この日は西穂山荘にテントを張ることにしました。
西穂山荘のスタッフも西穂高岳までしか登ったことがないらしく、奥穂高岳までの所要時間は地図か何かに書いてあるのを教えてくれました。
午後2時前にテントを張ったことなどなかったので、就眠までの時間のつぶ仕方がありません。
今日撮影した写真をデジカメのモニターに映して確認したりしましたが、あまり長時間していると撮影するバッテリーがなくなってしまうので小一時間ほどでやめました。
ここはロープウェーの駅からの登山口にあたるらしく、夕方になると新穂高温泉の方から沢山の登山者が登ってきます。
わたしはてっきりこの人たちも、わたしと同様に奥穂高岳まで縦走するものとばかり思っていました。
日本アルプスの天候というのは、北も中も南も同じで、どういう訳か早朝から昼過ぎまでは晴天であっても徐々に雲が広がってきて夕方にはあたりを真っ白に覆い隠してしまいます。毎日毎日同じなので中部日本の高山帯に特有の天候かと思ってしまいます。
あたりが暗くなってきたのでようやくテントに潜り込み、就眠しました。
午後が長い一日でした。
中尾峠の上の活火山の小ピーク。 |
焼岳小屋は水浸し。 |
稜線の紅葉は今ひとつの色づきでした。 |
紅葉のパッチ。 |
雲に隠れる穂高。 |
稜線の湿地。 |
稜線の池。地図に掲載されていない池もあります。 |
上高地から登ってくる登山道との合流点。このあたりから登りがきつくなってきます。 |
西穂山荘。北アルプスの山小屋は驚くほどの奥地にあるのに、その立派さに驚かされます。 |
西穂山荘のテント場。それほどの広さはなく、10張りか15張りでいっぱいとなりそうです。 |