2011/5/2はよく晴れた一日で、日差しは夏を思わせるほどでした。
ルートは、上野原駅から御前山に登り、高柄山、倉岳山、高畑山と越え九鬼山まで歩いて富士急の赤坂駅に下りました。
相模川の上流の桂川の南がわにある、東西に連なる長い山地が以前から気になっていたのですが、この日ようやく歩くことが出来ました。
ここ山地の頂はなぜかみな1000mに少し欠けた標高しか持っていません。1000mに満たないのですから決して高い山ではないのですが、登山道の勾配はとても急で、一歩一歩をあえぐようにして繰り出さないと上れませんでした。
岩場もあり、勾配も急で、脚力だけでなく総合的な体力が求められる縦走路です。日本アルプスに行きたいが体力的にちょっと、という方の練習にちょうど良いです。
この山地の特徴は頂と頂の間が深く切れ込んでいることで、頂に登ってから次の頂に進むと、一度200m近く下らなければなりませんでした。
このため、御前山から九鬼山まで、登った標高を累積すると2800mを少し越えました。これは標高0mから八ヶ岳の山頂に登ったのと同じくらいの標高です。
所要時間
- 06:40 上野原駅出発
- 07:36 御前山
- 08:37 新矢野根峠
- 09:24 高柄山
- 11:26 寺下峠
- 12:54 立野峠
- 13:26 倉岳山
- 13:26-13:53 昼食
- 14:13 穴路峠
- 14:49 高畑山
- 16:01 鈴懸峠(鈴音峠)
- 18:17 九鬼山
- 17:36 富士急田野倉駅
総時間12時間53分
御前山
上野原駅を出発して、最初の山が御前山です。
駅から桂川の対岸に渡り小学校の脇を通り、墓地を抜けると登山道の入り口があります。
入り口が急な坂でびっくりしたのですが、この山のこの路は、山頂間で急坂が続いて最後まで驚き通しでした。
中程には岩場があり、ロープがもうけられているほどです。
蜘蛛の巣の多い登山道で、顔や体が蜘蛛の巣だらけになるかとおもいました。
標高484mの頂にたどり着いたときには、ちょっとした充実感が味わえました。
頂は北の方の樹木が刈られていて視界が開けています。
山頂間で小柄な女性と抜きつ抜かれつ登っていたのですが、この険路をかなりのペースで上れるので驚いていたら、単独行で南アルプスの白峰三山の縦走もしているそうで、なるほど健脚なのもうなずけました。
冬の間中、高尾山とその周辺の山ばかり歩いていたせいで、ほとんど人と登山の話が出来なかったので、北アルプスの穂高の話なども出来て、新鮮な気持ちになりました。
桂川のダム湖の上の橋を渡ります。早朝の湖は良い雰囲気で、今度くるときにはカヤックを持ってきてこぎ出したくなりました。 |
橋を渡ると小学校があります。道路脇に小さな標識が立っていました。 |
住宅地の中を登ってゆきます。 |
墓地の脇を通ります。 |
墓地を通り抜けたところに登山道の入り口があります。 |
登り口から急斜面で、山頂間で休みなく登り通します。 |
赤いヤマツツジ。 |
低い山ですが、所々に岩場があります。手足を使わないと上れません。 |
御前山の山頂。樹木の中です。 |
御前山の山頂から上野原の街が見えます。 |
高柄山
御前山の西がわの道も勾配は急で、つま先が靴にあたってすこし痛くなります。484mから321mまで100m以上をジグザグを切って下ります。
一度降ってから登ると小さなピークがあり、そこが新矢野根峠で、立派な東屋があるので驚きました。
ここまでの登山道はなかなか歩きごたえのある道で、とてもハイカーが歩くような道ではないからです。東屋がここにあると言うことは、ここから先はハイカー向けの歩きやすい道と思ってしまいました。
上野原駅から御前山までは中央線を列車が通るとかなりうるさく感じたのですが、山頂をこえコルを通ることにはそれほど気にならない大きさになりました。多少、距離が開いたかもしれません。
車の音も響くと言うほどではありません。
列車や車の音が聞こえなくなるにつれて、野鳥の声が大きく聞こえてきます。なかでもウグイスの声がよく通っていました。高尾山も野鳥の森ですがここの森は人擦れをしていないのか、耳元で鳴いているのでは、と思うくらいに近くで鳴きます。
新矢野根峠から高柄山までの道はなだらかで歩きやすく、ちょっとした坂を登ると山頂でした。
地図には書かれていない分岐があり、幸い、それぞれの道の行き先が書かれていたので迷わずにすみました。
山頂は北から東にかけての眺望が得られ、今歩いてきた御前山から高柄山までの稜線がよく見えました。
ここから見た限りでは、御前山は緑に覆われた普通の山でとてもあの強烈な印象の坂道のある山には見えません。
御前山から高柄山へ向かう道。かなりきつい勾配を下ります。 |
枯れた沢を渡ります。このあたりは緑が濃く、日が差さないので鬱そうとしていました。 |
谷を上り詰めると斜面の道に人なります。 |
新矢ノ根峠に建つ東屋。 |
高柄山の稜線の道。 |
高柄山の山頂。 |
北から東がわにかけて、樹木がなく視界が開けています。 |
高柄山の山頂から、歩いてきた御前山とその稜線が見られます。 |
倉岳山
高柄山の下り道は急な坂で、これがこの日連続して現れる登っては下るの始まりだったのですが、このときはそれほど意識はしませんでした。
ぐんぐん下ってゆくと千足峠でです。
狭い稜線の鞍部が峠で、標識があると「なるほどここが峠か」とわかる程度の峠です。雰囲気からすると、峠と言うよりも乗越と呼びたくなるところでした。千足峠から四方津駅に出られる道が下っていました。
ここから一登りで大地峠に出るのですが、その前に舗装の林道を横切ります。
舗装林道に出たところに熊の出没注意の標識がありびっくり。「そうか、ツキノワクマが生息するほど懐の深い山なのか」と感心していました。
このあと、鈴を鳴らした登山者と何人か出会うのですが、熊鈴とぴんと来ませんでした。
舗装林道で登山道が分断されてしまうのですが、どうも、これは風情をなくしてしまうので好きになれません。
旧大地峠の分岐が地図とは少し違っていて、地図では十字路となっているのですが、最初にY字路が現れこれを右に行き、またY字路が現れたのでこれも右に行くと矢平山に出られました。
どの分岐も標識はなく、地図を見ながらたぶんこちらだろうと感で歩いたのが正解でした。
昭文社の「山と高原の地図」は登山には重宝するのですが、「高尾・陣馬」編に関しては、細部で実際の登山道と違っている箇所が所々あります。
高柄山から倉岳山、高畑山にかけては峠の多いところで、登山道に峠を示す標識のあったところだけでも、東から大地峠、寺下峠、立野峠、穴路峠があります。これらの峠のうちのいくつかは、江戸時代から明治・大正・昭和初期の移動手段がまだ人の脚に頼っていた時代に、山の南がわの谷峡の秋山村の人々が桂川の沿岸の表街道と交流をするのに使われていました。
かつては山地を横切って人は歩いていたのですが、いまこの山を歩く人のほとんどは縦に歩いています。
峠道は稜線にとりつくときにだけ歩きます。
寺下峠から立野峠まで800m前後の高さの稜線を歩きます。
この区間は地図にも顕著な山はなく、したがって急な登りも下りもほとんどありません。
左右は森林で、眺望はありませんが、新緑がまだまだ芽を吹いたばかりなので、明るい日差しが地面にまで降り注いでくれます。
稜線を歩いていて、ぐっと登り坂となる手前が立野峠で、北へ下ると梁川駅で幾人かの登山者が下ってゆきました。南に下ると浜沢です。
30分ほど坂を登ると山頂です。坂のきつさからとがった山のイメージを思い浮かべてしまい、山頂は狭いだろうと思っていたら、以外に広やかでした。
山頂には秀麗富嶽十二景の案内板が立っていたのですが、晴れて日差しは夏のようなのに、空気は湿度を帯びていて霞がかかっています。谷を隔てた扇山や赤鞍ヶ岳は見られるのですがそれより遠い山は見られませんでした。
頂は気温が低いらしく、ちょうど山桜が満開でした。
千足峠に下ります。 |
道のある尾根の幅はかなり狭いです。 |
標高が2000mあれば乗越と呼びたくなる千足峠。 |
千足峠を過ぎるとすぐに登りです。 |
大地峠の下の舗装林道を横切ります。ここに熊注意の看板があります。 |
林道で分断された登山道。 |
再び稜線の上の道に戻りました。 |
上り下りを繰り返します。 |
新緑がまぶしい一日でした。 |
ざっかけのない丸ツヅク山の山頂。763m。 |
素朴な寺下峠。 |
左が杉の林、右が闊葉樹の雑木林。 |
818mの舟山の山頂。このあたりは800m付近を登ったり下ったりしています。 |
杉の林の中の下り道。 |
闊葉樹の中の尾根道。 |
この縦走路は山頂も含めて眺望が乏しいのですが、ここは樹木が伐採されていて、南の山波を一望できます。 |
道の上からの眺望。 |
立野峠。この峠から倉岳山にかけては登山者が多いようです。 |
かなり急な斜面を登ります。 |
雨水で掘られてしまった樹木の根。 |
倉岳山の山頂。 |
高畑山
倉岳山の西がわの斜面も斜度は急で、滑り台のように思えてきました。
下ってゆくと、切り通しの道が下に見えてきて、それが穴路峠でした。古くからの峠道は時折見てきたのですが、これほど風情のある峠は初めて見たかもしれません。人が長い年月歩いてきたので自然に切り通しとなったのでは、と思ってしまうような峠でした。
穴路峠から高畑山までは、階段の様に、少し急さかを登っては踊り場のような勾配の緩やかな箇所に出る、の繰り返しです。
最後の坂を登ると、だらだらした稜線歩きとなり、分岐を一つ過ぎると山頂でした。
景観を楽しむには視界が悪く、空気の澄んでいる3月までに登っておけば良かったと、少し悔やまれますが、今年の3月は大雪で、高尾山稜からこの山の方角を見ると、山頂は真っ白だったことを思い出しました。3月だと雪が邪魔をして、とてもこれほどきつい坂が続く道は歩けなかっただろうと思います。
倉岳山を鈴懸峠に向かって下ります。 |
穴路峠。 |
穴路峠を過ぎると高畑山に向かって登ります。 |
急な勾配は峠の登り口だけで、山頂付近はいくぶん傾斜は緩やかとなります。 |
高畑山の頂付近にある雛鶴峠への道との分岐。手書きで雛鶴分岐と書かれていました。 |
高畑山の山頂。イス代わりの丸木は朽ちていて座れません。 |
高畑山からの眺望。南と北側に視界が開けています。 |
山頂下の岩の稜線。もともとの道は岩の上を通っていたようですが、土砂が流失して岩だけとなり危険なために巻道がもうけられていました。ここの浮き岩に足を乗せて踏み外してしまい100m下の崖に落ちかけました。 |
九鬼山
これから九鬼山を目指すのですが、途中でドコモの中継無線所の管理用の舗装道路を抜けて鈴懸峠へ降りると、歩いてきた疲れが出てきました。
このまま舗装道路を下れば中央線の猿橋駅に抜けられるので、少し迷いました。
時刻は午後4時に少し足りないくらいです。もう少し遅い時間、例えば午後4時15分くらいだったら先に進まなかったかもしれません。
休憩をたっぷりと取って動き出したのがちょうど午後4時でした。
鈴懸峠で標高が800mを切ってしまったので、九鬼山まで200mの標高差を登り返さなければなりません。
これまでと同様のきつい坂道を覚悟していたのですが、山頂直下の登り以外は、歩きやすい稜線で、ゆったりと上り下りを繰り返します。
ただ道は踏み跡程度で、倒木が道をふさいでいたりします。
おもしろかったのが871mのピークと書かれている檜の林です。杉の木にしては樹皮が妙だと持っていたらそれが檜で、稜線上の木はずいぶん伐採されていました。すでに夕方の日差しとなっていて薄暗かったのですが、このあたりにはスミレが多く、満開でした。スミレの群生はこのあたりでは珍しくないのですが、地面いっぱいにスミレが咲いているのはあまり見たことがありません。
檜の林を過ぎると登り一本調子となり、上り詰めたところが九鬼山です。
午後6時過ぎで日は暮れ、夕霞の景観を眺めていました。
九鬼山から田野倉駅に下る途中で日が暮れて真っ暗となりました。
日が長くなると歩く時間も長くなり、日が暮れても暖かいのでつい日があるうちは山道を歩いてしまいます。今年は夜の山歩きはやめようと思っていたのですが、登山シーズンの前の足慣らしの期間ですでに破ってしまいました。
九鬼山から愛宕神社の上の分岐までに下ります。この道もまたすごい斜面を下る道で、970mの山頂横の肩から716mの踊り場まで200m以上あります。
尾根の上で分岐して田野倉駅に行く道は、登山道と言うよりは踏み跡と呼びたくなる箇所がいくつかあり、乾電池で光るヘッドライトでは道筋が見分けにくいところもありました。
国道に出てから駅まで距離はわずかなのですが、時間がとてもかかっていると感じます。
田野倉駅に着くとちょうど上りの列車が着いたところで、駅員さんにせかされて休む間もなく乗せられました。
イスに腰掛けるとすぐに大月駅で、落ち着く間もありません。
人心地がついたのは中央線に乗ってからでした。
大桑山まで上り下りの稜線歩きの道があり、その先は一気に下ります。 |
ドコモの管理道路に抜けます。 |
車道の鈴懸峠。ここから九鬼山に至る道に入ります。 |
木が道の上に倒れています。 |
踏み跡程度の道が九鬼山まで続きます。 |
灌木に道が隠されかけていました。 |
檜の林。 |
檜の林の中のスミレ。 |
檜の林を抜けると九鬼山まで登りの一本調子となります。 |
九鬼山の山頂。大月の方へ抜ける道があります。 |
九鬼山の山頂の山桜が満開でした。 |
九鬼山の山頂から中腹まで一気に道は下ります。 |
愛宕神社の上の分岐。ここを直進しましたが、道が踏み跡程度となってしまいました。 |
夕暮れの都留市街。写真が撮れたのはここまででした。ここから先は真っ暗闇となります。 |